フリージア・ナースの会は、成熟した看護の未来に向かって組織的に行う社会貢献団体です。

フリージア・ナースの会
NPO法人看護職キャリアサポート
セカンドキャリア支援事業

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2016年09月06日 [会員インタビュー]

第2回 会員 多羅尾美智代さん「看護職として何をしたいか、何ができるかを考えることが元気につながっていく」

元・三木市立三木市民病院看護部長
1959年準看護婦免許取得、明石市立病院に入職。1975年看護婦免許取得。1984年三木市立三木市民病院に職場を変える。2003年退職。看護管理経験21年(婦長11年、看護部長10年)。2001年認定看護管理者教育運営委員。2004年4月〜10月日本看護協会神戸看護研修センター教育課長、1998年兵庫県看護功労賞受賞、2002年優良看護職員厚生労働大臣表彰受賞、現在は全国各地を駆け巡り、看護師対象の研修講師として活躍中。
多羅尾美智代さん
本連載では、セカンドキャリアを充実させている元看護管理職の皆さんにインタビューし、これまでどのようなキャリアを歩んできたのか、また、現在はどのような活動をされているのか、そして、これから何をしようとしているのかをご紹介していきます。前回(日総研出版のナースマネジャーVol.16、bU)は、大島敏子さんにインタビューし、看護職のセカンドキャリアとしての社会貢献の意味を考えてみました。ここで言う社会貢献とは、前回紹介したフリージア・ナースの会に所属して自分が「取り組みたい」と思う「できること」について、何かに縛られることなく活動するというものです。このフリージア・ナースの会の目的は、会員相互の交流によって社会貢献を推進しながら、自分自身のセカンドキャリアを充実させることです。
 さて、今回インタビューにご協力いただいたのは、元・三木市立三木市民病院看護部長であり、現在は行使などとして活躍する多羅尾美智代さんです。多羅尾さんには、現役時代のご活躍を含め、今後、フリージア・ナースとしてどのような活動をしていくかをお話しいただきました。

ゆっくりできるかと思いきや・・・研修依頼で飛び回る日々に

濱田安岐子(以下濱田):多羅尾さんが最後に所属されていた看護現場は、兵庫県の三木市立三木市民病院での看護部長のお立場と、その他、日本看護協会の認定看護管理者教育運営委員や日本看護協会神戸研修センターの教育課長であったと思います。現在はフリーになられて、ホームページを運営して情報発信しながら全国を研修講師として飛び回っているというイメージです。お元気ですよね!
多羅尾美智代さん(以下多羅尾):私が三木市民病院を引退する最後の年は「あと1年で引退して、ゆっくりできるな〜」と思っていました。今のような生活は考えてもいなくて、退職したら、普通にゆっくり過ごすのかなって思っていたら、退職直後から研修や講演依頼がどんどん来るようになって、北は北海道の稚内から南は沖縄まで、本当に忙しく飛び回りました。今はかなり減っていますが、今までの研修・講演実績は890回を超えます。
濱田:それは、どういう経緯で依頼が来るようになったんですか?
多羅尾:最初に出版した本からだと思います。『看護への想い やりがい、人づくり』(経営書院2003年)は、退職してすぐに出版社から勧められるままに出した本です。その時私は、看護協会の管理者研修などでも講師を務めていたので、自己紹介を兼ねてこの本を紹介し、実際にやってきた過程を説明しながら講義を進めていると、後で研修に参加された人から研修依頼が来るようになりました。

スタッフの力を借りながら、さまざまな看護管理手法の先駆けに

多羅尾:三木市民病院は兵庫県の山間部にある田舎の病院でしたが、1997年から目標管理はやっていたし、300人近くいるスタッフ全員にお誕生日カードを送ったりもしていました。これは今でいう、フィッシュ!活動の一環ですね。それから、職場ごとに「看護を語る」という3分間スピーチをしていました。これは、スタッフに自分が患者にどんな看護をしたかということを語ってもらって、それを話題として意見交換をしながら看護観を深め合うものです。
濱田:それらは、今では多くの病院で実施されている目標管理や、フィッシュ!活動、ナラティブという考え方ですよね。
多羅尾:そうなりますね。でもその時は、いろいろな人の意見を聞いてみたい、話を聞きながら管理を進めたいと思って、スタッフに助けてもらいながら実施していました。看護部長に就任した時は、自信が全くありませんでした。院長のバックアップもあり、看護部を強化していかなければということで取り組んでいきました。田舎の病院で遅れているという感覚があったので、少しずつ地道に活動したのですが、結果的に世間に先駆けた活動ができたことになります。ポートフォリオについても、「キャリアプラン個人表」というのを作って、個人個人が今までどんな経験をしたのか、今後どうなりたいのかを明らかにし、それを基に目標管理をしてきました。
濱田:凄いですね!そんなに早い時期から理想的な目標管理をされていたのですね。
多羅尾:私は看護部長になってすぐ、日本看護協会の清瀬研修センターで2週間の管理研修を受けたのですが、その時すでに目標管理という考え方はあったし、ポートフォリオもそういう言い方ではなかったもののその手法はあったんですよ。私は自分の病院が遅れていると思っていたので、講師の話を聞きながら、「ほかの病院ではこういうことが行われているのか」と思い、何とか自分の病院でも始めなければと思って、師長たちと相談して一つひとつ積み重ねたということです。
濱田:同じように学んでいた方たちがいたのに多羅尾さんが先駆けとなったということは、実践するっていうことが難しいということなのでしょうか。
多羅尾:私は、スタッフの力を借りながら何とかやる方法を考えられたということが大きいかもしれません。当時、同じ研修を受けた仲間は60人ぐらいいたと思うのですが、実際にやったのは私だけだったようです。その後、その仲間から研修に呼ばれるようになりました。
私の信念は「患者さんに喜んでもらえる看護をし、それをやりがいにしながら自分を高める」ことです。看護部長になった時は、それがそのまま、私にとっての看護部の運営理念になりました。「心のこもった看護を実践することでやりがいを感じ、仕事を通して自己の成長が実感できる組織づくり」です。このことを実現しなければと思ったら、目標管理やポートフォリオ、フィッシュ!活動につながっていったというわけです。そして、これを一人ひとりの行動に結びつけるためには、師長たちと話し合うことです。私が実現しようとしていることを師長たちが「看護部長がいったから」と言うようでは、組織運営はできません。看護部の理念や基本方針を師長たちからスタッフに納得できるように伝えてもらわなければならないからです。そうすることで、目標管理やポートフォリオ、フィッシュ!活動、今でいうラダー別研修も実現していったわけです。何を実現していくかが、行動や考え方を創り上げていくことなのだと思います。

引退後も現場で頑張る看護職を応援したい

濱田:今、行っておられる全国での研修は、どのような思いで実施されていらっしゃいますか?
多羅尾:やはり、現場で頑張っている看護師を支援したいという思いからです。研修の準備をしたり研修生と意見を交わしたりしながら、私自身の考えが深まっていくのを感じます。それが私自身の勇気やモチベーションにもつながっていると思っています。
濱田:そうなんですね。自分が学ぶという意味もあるのですね。では、フリージア・ナースの会に入会してくださったのは、多羅尾さんにとってどんな意味があったんですか?
多羅尾:やっぱり、引退した後も看護職とつながっていたいという想いはあります。会長の大島敏子さんには以前から親しくしていただいているので、一緒に活動できれば、と思いました。
実は、私の夫の姉が小脳梗塞で入院して要介護4の認定を受けたのですが、一般の人たちは本当に医療の事を理解できていないと実感しました。医師や看護師からいろいろ説明を受けてもその意味が理解できないし、質問されても質問の意味が分からいのです。だから、病院側から連絡があれば必ず私も同席して、医師から説明されたことを私の夫や姉の夫にポイントを押さえて補足説明をしています。この経験から、医療の現場にはそういうことも必要なことかもしれないと思っています。
濱田:身近なところで看護職としての経験が活かされているんですね。

看護職の経験を生かした地域貢献

多羅尾:今は、ささやかな地域貢献として、毎朝8時半に近所の人を集めてラジオ体操しています。仕事を辞めてしばらくして気づいたのは、近所の人達と顔を合わすことがないということです。みんな高齢者で外に出ないのです。それで、健康に関心をもってもらうためにラジオ体操をしようと思って、「ラジオ体操で健康づくりをしませんか? 1日1回時間を決めて外に出る。人と顔を合わせて会話をする。体を思いっきり動かす。それが生活不活発病の予防になります」というチラシを作って近所に配ったら、集まってくれました。ラジオ体操をした後に、健康状態のことや最近のニュースなどについて20分ほど雑談をして終わります。全部で30分ほどです。
ある時、いつもその場に来る女性が、自宅で突然倒れて意識がなくなり、救急車で入院するということがありました。するとそのご主人が、「めまいで倒れて救急車で行ったのに、耳を調べられた! 高い金払っているのに!」と言って怒ったのです。耳を調べる意味が全然分かっていなかったんですね。それで私が、「耳の中には平衡感覚を感知する働きがあるのよ。意識がなくなった原因が、脳の問題なのか貧血なのか血圧が下がったのか、それとも耳の中に問題があるのかを調べたの」と説明すると、「そういうことか・・」と納得されました。
それと、一般の人は医療費自体を「取られる」という感覚があるみたいで、「病院に行ったら3000円も取られた」という言い方をします。普通に物を買う時であれば、「取られた」という言い方はしません。そんな時、私は、「健康にはお金がかかるのよ。だから病気にならない体づくりが大事なのよ」と言いながら、医療費の意味や健康保険の仕組みを説明することにしています。
私はこういうことを一般市民にもっときちんと伝えなければいけないと思っています。ですが、結局はその時、その時に伝えていくしかないのかなとも思います。実際に困った時や怒っている時に話さないと効果がありませんから。そして、こういうことが健康教育にもつながります。顔を合わせて人と会話することや笑うことだけでも健康に良いので、日野原先生が進めている「おもしろ川柳」なんかも活用して大声で笑って別れることが多いです。
濱田:毎日ですか!?大変ですね!
多羅尾:あまり大変とは思っておらず、楽しみながら続けています。話題作りに脳を働かせるのは私自身のためでもあるし、声をかけて集まってくれる周りの人の協力があってできています。こういうことも「看護の道を歩んできた者の責任かな」と思ってこれからも続けようと思っています。

「退職=職能活動終了」?

濱田:そういうことって、どうしたらできるようになるんでしょうか。看護職とはいえ、そんな気持ちになれるのはなぜなのでしょう?
多羅尾:人に伝えることの大切さを知ることでしょうか。現場って同じことの繰り返しだし、人が変わるだけで同じ悩みが続くようです。だから、いろんなことにチャレンジし続けることも大事です。
濱田:現役時代に管理にチャレンジし続けることですね。
多羅尾:そういうことです。でも、現役時代には、病気になった人のケアはしてきましたが、一般の人に、健康を守ることの重要性を伝えることができていませんでした。看護管理の経験者であれば、退職後に医療に詳しくない人達の相談支援くらいはできると思います。友人が相談してくることもあり、そういう時は「その病院で治療を受けているのなら大丈夫よ」って言ってあげるだけで安心して治療に臨めたりする場合があります。
看護協会や看護連盟の研修、活動が大事なのはそのためだと思います。やっぱり、私たちは看護師として何をするべきなのかということから考えていかないと、看護が形だけになってしまいます。
「看護職が元気になる研修」というテーマでの研修を依頼されることがありますが、その時だけ元気になることではなく、やっぱり自分が看護職として何をしたいか、何ができるかを考えることが元気につながっていくと思っています。今までの経験を無駄にしないということです。
濱田:そうなんですね〜、看護職として何をするべきか、それを実現するために何をするのかということを大事にしていくことができれば、多羅尾さんのようになれるのかもしれませんね。
多羅尾:多くの人は退職をすると看護協会や看護連盟、看護の学会を退会していくそうです。退職すると職能活動も終了してしまうという考え方になってしまっているようですが、私はそうではないと思います。反射神経や勘は鈍っているので救急医療の現場でスタッフとして働くのは無理でも、自分が看護職として、看護管理に携わった者としてできることをしていきたいですね。

インタビューを終えて(濱田安岐子)

今回は、多羅尾美智代さんにインタビューさせていただきました。多羅尾さんの現役時代のお話で、管理職の創造力や看護職としての使命感の重要性を改めて感じました。また、それができる方たちが、フリージア・ナースとして活動してくださる方なのかもしれないと思いました。しかし、現役時代はいろいろな事情から創造性を発揮できなかった方やチャレンジが難しかった方も、フリージア・ナースになってチャレンジしていただきたいなとも思いました。

この記事は日総研出版のナースマネジャーVol.16 No.7に掲載したものです。日総研さんのご協力のもと、ホームページへの掲載が実現しました。




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